Susan L. Hills, Randall J. Nett, Marc Fischer
日本脳炎ウイルスはフラビウイルス(Flavivirus)属の一本鎖RNAウイルスで、ウエストナイル脳炎ウイルスおよびセントルイス脳炎ウイルスに近いタイプのウイルスです。
日本脳炎ウイルスはウイルスに感染した蚊に刺されて感染します。媒体となる蚊は主にCulex属(イエカ属)の蚊です。このウイルスは蚊と増幅脊椎動物(主に豚やツル、サギなどの渉禽類)との風土病サイクルで保有されます。ヒトでは血中のウイルス量(ウイルス血症)が蚊を感染させるほどのレベルに到達せず、またウイルスが血中にある期間も短いので、付随的または終末の宿主となっています。
日本脳炎は、アジアでワクチン予防が最も有効な脳炎です。アジア地域と太平洋西部の一部で発生します(地図3-08)。アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ諸国では、日本脳炎ウイルスの地域的流行は報告されていません。ウイルスは基本的には地方の田園地帯で伝播し、稲作水田地帯で多発します。アジアでは、稲作水田農家が都市部や都市に近い区域にもあり、こういった場所では都市部でも発生します。アジアの気候が温暖な地域では、季節変動があり、夏と秋に最も多く発症します。亜熱帯や熱帯地方では、季節変動はモンスーン雨季と灌漑作業に影響を受けやすく、伝播期が長引いたり、年間を通して発生したりもします。
日本脳炎が風土病である国では、日本脳炎は主に子供の疾病です。しかし、旅行者では年齢に関係なく感染する可能性があります。アジアを訪問する旅行者が日本脳炎に罹患するリスクは極めて低いですが、訪問地、滞在期間、季節、活動範囲によってリスクが変動します。
1973年~2008年にかけて、日本脳炎が風土病ではない諸国から訪れた旅行者が日本脳炎を発病したケースは55症例でした。日本脳炎ウイルスワクチンが米国で最初に認可された1992年からは、米国からの旅行者の発病症例は4例に減少しました。
日本脳炎が風土病でない国からの旅行者がアジア地域を旅行して日本脳炎を発病する割合は100万人に1人より低いと推定されます。しかし、国外居住者や日本脳炎ウイルスの伝播が活発である田園地帯に長期に滞在する旅行者では、罹患しやすい定住者の発病率(子供10万人あたり5~50人)と同じです。短期の旅行でも、伝播が活発な季節に田園地帯で野外活動に長く従事したり、夜間に外出すると感染リスクが上昇します。滞在期間が1ヵ月未満の短期の旅行者で行動範囲が都市内に限定される人は日本脳炎に感染するリスクが最も低くなります。日本脳炎が風土病である地域では、ワクチン予防接種や自然に獲得した免疫により定住者での発病は数件に留まっています。日本脳炎ウイルスは未だに動物と蚊との間で風土病サイクルによって保有されていることが多く、旅行者には感染リスクがあります。
地図 3-08. 日本脳炎流行地域
ヒトが日本脳炎ウイルスに感染してもほとんどの場合は無症状で、臨床症状が出現するのは感染した人の1%未満です。日本脳炎ウイルスに感染した時の臨床症状の中で最も気付きやすい症状は急性脳炎です。無菌性髄膜炎や鑑別不能な発熱などの軽度の症状も出現することがあります。潜伏期間は5~15日間で、基本的には発熱、頭痛、嘔吐が突然出現して発症します。発症後の数日間に精神状態の変化、限局性神経障害、全身性脱力、運動障害が現れます。
発症した人の致死率はおよそ20~30%です。延命した人の30~50%に著しい神経性後遺症、認知後遺症、精神的後遺症が残ります。
脳炎、髄膜炎、急性弛緩性麻痺などの神経感染症がある患者で、最近アジアや太平洋西部の日本脳炎が風土病である地域を旅行した人やそこに住んでいた人は日本脳炎の可能性を考慮すべきです。臨床診断は、脳脊髄液または血清でIgM捕捉ELISA (JEV-specific IgM-capture ELISA)検査を行って確定します。ほとんどの症例では日本脳炎ウイルス特異IgM抗体値は、発病後4日以内であれば脳脊髄液で、7日以内であれば血清で測定できます。急性期および回復期の患者の血清では日本脳炎ウイルス特異中和抗体が4倍以上に増加しているので確定診断に使用できます。診断にはワクチン接種歴、発症日のほか、血清分析法で交差反応を示す可能性があるので当該地域で活発な他のフラビウイルス属についての情報も検査結果の判断に必要です。
ヒトでは血中のウイルスは一過性でわずかであり、通常は鑑別可能な臨床症状に気付く時期までに中和抗体が現れます。ウイルスの単離と核酸増幅検査は血清や脳脊髄液中に日本脳炎ウイルス・日本脳炎ウイルスRNAを検出するには感受性がないので、日本脳炎を除外するために用いてはなりません。
日本脳炎には特異的な抗ウイルス療法がありません。治療は対症療法や合併症の管理です。
米国では1種類の日本脳炎ワクチンすなわち培養細胞(Vero細胞)由来不活性化ワクチン(Ixiaro)が認可されており、入手可能です。Ixiaro はIntercell社で製造され、ノバルティスワクチン社が販売し、17歳以上の人に使用されるよう2009年3月に認可されたワクチンです。子供でIxiaroが使用できるように認可を得ようと小児科での臨床試験が現在実施されています。その他の不活性化ワクチンや活性弱毒化ワクチンがアジア地域で製造され、使用されていますが、米国では認可されていません。
Biken(ビケン)社が製造し、サノフィパスツール社が販売する不活性化マウス脳由来ワクチン、JE-Vaxは1992年に1歳以上の旅行者に使用できるよう認可されています。2006年にこのワクチンの製造が中止になり、2011年5月に残量全てが有効期限切れになっています。
Ixiaroの有効性を示すデータはありません。このワクチンは予防手段として日本脳炎ウイルス中和抗体を産生する能力があるという理由とおよそ5,000人の成人に接種して評価した安全性とに基づいて米国で認可されました。免疫原性を検証した主な非劣性試験では、28日間の間隔を置いて接種する2回の初期ワクチン接種を受けた後、96%の成人被験者が予防となる中和抗体を確立しています。
Ixiaroの初期接種は初日と28日後の2回の筋肉内注射による2回接種法です。ワクチン接種量は17歳以上の人で0.5 mLで、2回の接種は旅行1週間前に完了していなければなりません。
Ixiaroの初期接種後、どれほどの期間予防効果が続くのかは不明です。ある研究では、2回の初期接種を完了した人の83%で接種後12ヵ月の時点での抗体値が予防水準に維持されていましたが、他の研究では接種後12ヵ月で58%、24ヵ月で48%であったとされています。
初期接種が1年以上前であった場合は感染する可能性が出る前に追加接種し、あるいは感染する可能性が持続してある場合に追加接種します。初期接種から2年以上経過している場合に追加接種 したデータは入手できません。追加接種の必要性やその時期についてのデータも入手できません。
JE-Vaxを接種し、さらにワクチン接種の追加が必要な人はIxiaroの2回接種法による初期接種を受けるべきです。
被験者1993名にIxiaroを2回接種した安全性試験の報告では、疼痛と圧痛が2大症状でした。頭痛、筋肉痛、疲労感、インフルエンザ様症状などの全身性副作用はそれぞれ10%以上の人に現れました。Ixiaro は被験者が5,000名未満の試験結果に基づいて認可されたので、重篤な有害事象が稀に起こる可能性は除外できません。認可後の試験と調査により、大規模な集団でのIxiaroの安全性がさらに詳しく評価されます。
旅行者に日本脳炎ワクチンの接種を勧奨する際には、臨床医は①旅行者が日本脳炎を発症するリスクが総体的に低いこと、②発病した場合には死亡率と後遺症の発生率が高いこと、③ワクチン接種後の重篤な有害事象が発生する可能性は低いこと、④ワクチン接種費用の4つの要素を考慮しなければなりません。訪問地、滞在期間、活動範囲、訪問地での疾患の季節変動などの旅行者個人のリスク評価を旅行プランの考慮に入れなければなりません(表3-08参照)。日本脳炎ウイルスの伝播様相は国別に異なり、年毎にも異なるので、この表中のデータは注意深く解釈する必要があります。
予防接種実施諮問委員会は、日本脳炎が風土病である地域を日本脳炎ウイルスの伝播時期に1ヵ月を超えて訪問する旅行者に対してワクチン接種を勧奨しています。この勧奨には長期旅行者、再来者、都市部に居住するが風土病である地域や田園地帯を伝播リスクが高い時期に訪問する可能性のある外国人居住者も含まれています。ワクチン接種には次の要素も考慮します。
① 田舎地域、田園地帯にかなり長い時間滞在すること、特に夕方から夜にかけて
② キャンプ、ハイキング、トレッキング、サイクリング、釣り、狩猟、農作業などの広範囲な野外活動に参加すること
③ エアーコンデイショナー、網戸、ベッドの蚊帳がない宿に滞在すること
日本脳炎ワクチンの接種は都市部に限定して滞在する短期旅行者や、伝播期ではない時期に訪問する旅行者には勧奨されません。
Ixiaroを接種した後に重篤なアレルギー反応が起こった場合はそれ以上接種することの禁忌症となります。 Ixiaroは過敏反応を起こす可能性のある硫酸プロタミンを含有しています。16歳以下の子供でのIxiaro の安全性と有効性はまだ確立されていません。65歳以上の高齢者では Ixiaroを使用した限定データによると、安全性と免疫原性は若年者のデータと類似しているものの、さらに詳細なデータが必要です。妊娠女性に関しては、Ixiaroを接種した研究はまだ実施されていません。従って、妊娠女性への予防接種は個々の例で違って来ます。しかし、妊娠女性が日本脳炎ウイルスの感染リスクが高い地域へ旅行する際には、感染リスクがワクチン接種による理論上のリスクより大きい場合にワクチン接種すべきです。
(2011年1月改定)
日本脳炎を含めて蚊が媒体となっている疾患に罹患するのを防ぐ最善の予防法は蚊に刺されないようにすることです。(第2章 蚊、ダニ、その他の昆虫や節足類からの感染の予防法Chapter 2、 Protection against Mosquitoes、 Ticks、 and Other Insects and Arthropodsを参照)
表3-08日本脳炎の国別リスク1
国 | 罹患地域 | 伝播期 | 発生状況 |
オーストラリア | トレス海峡諸島外部 | 12~5月;ヒトでの症例報告はすべて2~4月 | 本島北部のクイーンズランドでヒトの症例1件 |
バングラディッシュ | データほとんどなし、恐らくは国中に蔓延 | 不明;ヒトの症例はほとんどが5~10月 | タンガイル地区で1977年にヒトの症例1件;監視調査ではチッタゴン、ダッカ、クルナ、ラージシャーヒ、シレット課で最近ヒトの症例報告あり;ラージシャーヒ課で高い発生率 |
ブータン | データなし | データなし | |
ブルネイ | データなし;風土病である田園地帯と推定 | 不明;一年中季節を問わず伝播すると推定 | |
ビルマ
(ミャンマー) |
データ限定;風土病である田園地方と推定 | 不明;ヒトの症例はほとんどが5~10月 | シャン州でヒトの発病を確認;その他の州では動物で抗体を確認、ヒトで抗体を確認 |
カンボジア | 風土病である田園地帯と推定 | 一年中伝播、5~10月が頻発期 | 監視調査でプノンペン、ターカエウ、コンポンチャーム、バッドンボーン、スバーイリエン、シェムリアップ州を含む少なくとも14地方でヒトの発病を確認 |
中国 | ヒトでの症例が西藏自治区
(チベット)、疆ウイグル自治区、青海省以外の全ての地方で報告される; 香港・マカオでは風土病とは考慮されていないが、新領土からの発生報告が稀にあり |
ヒトの症例はほとんどが6~10月 | 重慶市、貴州省、陜西省、四川省、雲南省で最も高い発病率;北京やその他の主要都市のみへの旅行者にはワクチン接種は基本的には勧奨せず |
インド | ダードラ、ダマン、ディーウ連邦直轄領、グジャラート州、ヒマーチャル・パラデーシュ州、ジャンム州、カシミール州、ラクシャディープ州、メガラーヤ州、ナガル・ハヴェーリ連邦直轄領、パンジーブ州、ラージャスタン州、シッキム州を除く全州でヒトの症例報告あり | ヒトの症例はほとんどが5~10月、伝播期が延長したり、一年中季節を問わず伝播することもあり、特にインド南部の特定の地域 | アーンドラ・プラデーシ、アッサム、ビハール、ゴア、ハリヤーナ、カルナータカ、ケーララ、タミル・ナードウ、ウッタル・パラデーシュ、東ベンガルの州ではヒトで高い発病率 |
インドネシア | 風土病である田園地帯と推定 | ヒトでは季節を問わず一年中伝播;頻発期は島によって異なる | 監視調査ではバリ、カリマンタン、ジャワ、ヌサ・トゥンガラ、パプア、スマトラ州でヒトの伝播を確認 |
日本2 | 北海道を除く全ての府県・島で散発性にヒトで発病;風土病の予防活動実施中 | ヒトの症例はほとんどが7~10月 | 日本脳炎ワクチン接種法が導入された1960年代後期まではヒトで多発;最近では中国地方で2002年に小規模な流行;北海道でヒトを除く動物での風土病伝播を確認;東京やその他の主要都市のみを訪問する旅行者には基本的にはワクチン接種を勧奨せず |
北朝鮮 | データなし | データなし | |
韓国2 | 国内全域で稀に散発性に発生;風土病の予防活動を実施中 | ヒトの症例はほとんどが5~10月 | 日本脳炎ワクチン接種法が導入された1980年代半ばまではヒトで多発;南部で最も高い発生率;近年の大発生は1982年に報告あり;ソウルやその他の主要都市のみを訪問する旅行者には基本的にはワクチン接種を勧奨せず |
ラオス | データ限定;風土病である田園地帯と推定 | 季節を問わず一年中伝播、頻発期は6~9月 | 監視調査では北部、中央部、南部ラオスでヒトの発病の報告あり |
マレーシア | サラワク州で風土病;その他の全ての州で散発性に発生;時々発生例が報告される | 季節を問わず一年中伝播;サラワク州で頻発期は10~12月 | ヒトの発生のほとんどはサラワク州で報告;クアラ・ルンプールやその他の主要都市のみを訪問する旅行者には基本的にはワクチン接種を勧奨せず |
モンゴル | 風土病とは考えられていない | ||
ネパール | 南部のテライ平原で風土病;カトマンズ渓谷を含む高原・山岳部でも発生報告あり | ヒトではほとんどが6~10月に伝播 | バンケ、バリディア、 ダング、カイラリを含むテライ東部で最も高いヒトの発病率;高山地帯でトレッキングをする人、カトマンズやポカラにトレッキングルートに入る途中で短期滞在する人にはワクチン接種は勧奨せず |
パキスタン | データ限定;カラチ周辺部でヒトの発病報告あり | 不明 | |
パプアニューギニア | データ限定;広く蔓延と推定 | 不明 | 西部で散発性にヒトの発病報告あり;湾岸部および南部高原地帯で血清学検査により確認; 2004年にポートモレスビーでヒトの発病症例1件の報告 |
フイリピン | データ限定;全諸島に亘って風土病であると推定 | 不明;一年中と推定 | マニラやヌエバ・エシハで発生;ルソン地方の他の地域、ビサヤ諸島でヒトの症例報告あり |
ロシア | 極東沿岸部ハバロフスク南部でヒトの症例が稀にあり | ヒトの症例はほとんどが7~9月 | |
シンガポール | 稀にヒトの症例報告あり | 季節を問わず一年中伝播 | ワクチン接種は基本的には勧奨せず |
スリランカ | 山岳地帯を除く田園地帯で風土病 | 一年中伝播、頻発期はモンスーン雨季により変動 | アヌダラプラ、ガンパハ、クルネーガラ、ポロンナルワ、プッタラム県で高いヒトの発病率 |
台湾2 | 諸島全体で稀にヒトの症例あり | ヒトの症例はほとんどが5~10月 | 日本脳炎ワクチン接種法が導入された1968年まではヒトの症例が多発;台北やその他の主要都市のみを訪問する旅行者にはワクチン接種は基本的には勧奨せず |
タイ | 田園地帯で風土病;北部で季節的に風土病 | 1年中伝播、頻発期は5~10月で特に北部 | チェンマイ渓谷で最も高いヒトの発病率;バンコック郊外で散発性にヒトで発病 |
東チモール | データ限定;散発性にヒトの発病あり | データなし | |
ベトナム | 田園地帯で風土病;北部で季節的風土病 | 一年中伝播、頻発期は5~10月で特に北部 | ハノイ周辺部、北西部および中国と国境を接する北東部で最も高い発生率 |
西太平洋諸島 |
1947~1948年にグアムで、1990年にサイパンでヒトの発病報告 |
不明;ヒトの症例はほとんどが5~10月 | 風土病サイクルは持続せず;ウイルスの伝播があるときに発生 |
1データは公表報告および個人的情報に基づく。リスクは地域別に異なり、報告年によっても異なり、ヒトの症例に関するデータと日本脳炎ウイルスの伝播についての調査データは不完全なので、リスクは注意深く評価すること
2風土病である特定の地域では、ワクチン接種や自然免疫に定住者での発生は影響を受ける。しかし、日本脳炎は動物と蚊の間で風土病サイクルによって保有されるので、この地域を訪問する旅行者で感受性のある人は感染リスクがある。